は じ め に
大学で通常「レポート」と呼ばれているものは学術的文章のうち最も小規模なものを指す。レポートより少し大きなものを小論文(入試などの「小論文」はこれとは別物)、さらに大きなものを単に論文と呼ぶ。一冊の書物(学術的な研究書・専門書)は複数の論文から成り、一章が一つの論文に相当する。
学術的文章には独自の要件がある。すなわち、A全体が適切な形式に構成されていること、B論述が証拠に基づき、証拠が明示されていること、C論述が論理的に表現されていること、D依拠した文献・資料・史料の書誌情報や補足説明について注がつくことの4点である。こうした文章の書き方は日本の高校では教えてくれないし、大学でも系統的には教えてくれないが、学問をするうえで最も重要な作業の一つである。4年生になっても以上の要件を一つも満たしていないものをレポートと称して書く学生がいるが、そもそもきちんと教えられていないのだから、当人だけを責めるのは酷であろう。
諸君のほとんどは卒業論文を提出し、その審査に通って卒業していくのだから、こうした文章の書き方を知らなければならない。また卒業後も、調べ考えた結果を文章で表現しなければならない機会は何度も訪れるはずだから、今のうちにそのための基礎的なトレーニングを積んでおいたほうが良い。以下では、レポートに即して、学術的文章を作成するための必要最小限のポイントを示すが、詳細は以下の6点を参照していただきたい。殊にaと、b・cのいずれかは必読必携のガイドブックである。
a斉藤孝『増補 学術論文の技法』(日本エディタースクール出版部)
b澤田昭夫『論文の書き方』(講談社学術文庫)
c保坂弘司『レポート・小論文・卒論の書き方』(講談社学術文庫)
d池田祥子『文科系学生のための文献調査ガイド』(青弓社)
e清水幾太郎『論文の書き方』(岩波新書)
f早大出版部編『卒論・ゼミ論の書き方』(早稲田大学出版部)
T 構 成
古来、文章技法の要諦を「起承転結」と言い習わしているが、学術的な文章にも通ずるところがある。レポートについて具体的に言えば、全体を序論・本論・結論の形式に構成することと、本論を複数の節(さらに項)に分け、それぞれに適切な見出しを付けることである。これ自体は形式にすぎないが、形式(form)とは中身を容れるための器であるから、これがしっかりしていないと良い中身は盛り込めないし、器を良くしようとすれば自ずと内容も過不足のない引き締まったものになる。
1. 序 論
序論は通常「はじめに」などと題して書かれる。そこにはレポートのテーマ、そのテーマを選んだ理由、テーマの問題領域、その領域の中で特に明らかにすべき問題(課題)の設定、考察の対象となる事柄、研究の方法などを示すことになる。このうち、課題の設定が決定的に重要であるが、それは多くの諸君が最も苦手にしていることでもある。課題設定が重要だというのは、本論の内容と構成は課題に対応して決まるし、結論(答え)は課題(問題)がなければ導き出しようがないからである。多くの諸君がこれを苦手に感じるのは、自分で問題を発見することに慣れていないからである。試験では明瞭に限定された課題が教員によって予め設定されているが、レポートでは教員はテーマを与えることはあっても課題まで指定することは通常はしない。したがってレポートにおいてはどのように課題を立てるかが重要なポイントとなるのだが、はじめから課題が明瞭に自覚されているということはまずない。何らかのテーマに即して様々な文献・資料を読み、ノートをとり、考えながら、徐々に、漠然としたテーマ(の問題領域)の中で自分が何を明らかにしようとしているのか(また何を明らかにすることができるのか)が分かってくる。その意味で課題の設定は自己発見の過程でもある。それゆえ「はじめに」の内容は最初から決まっているものではなく、レポートを準備する(=調べ、読み、整理し、考える)過程で、課題・対象・方法などが次第に姿を現してくる。「はじめに」は本論と結論の内容が概ね決まった後にはじめて書けるのである。
2. 本 論
本論とは、課題について何をどのように調べ、何を明らかにし、何を考えたかを述べる部分である。
(1)本論叙述の要件
本論において重要なことは、A議論を進めるのに必要な事実・証拠を示すこと(実証性)と、B叙述が論理的に展開しており飛躍のないこと(論理性)である。とはいえ自力で必要な事実・証拠を全て揃え、論理を展開するのは困難である。もとより学問は他人の知恵のうえに自己の知恵を付け加える作業であるし、学生諸君のレポートや小論文の場合は先人の獲得してきた知恵を整理することも意味のある学問的作業である。そこで他人が確定した事実・証拠や他人の論理展開を利用することになるが、無断で利用すれば剽窃になるし、自分で確定した事実・証拠や自説との区別が曖昧になってしまう。それゆえ、C他人に依拠した部分は、誰の何という文献・資料の何頁──これを書誌情報と言う──に基づいているのかを注で明記する必要がある。注の付け方には様々あり、卒業論文などでは本格的な番号注とし、文献・資料の批評や批判、本文を補足する内容なども含めてそこに記すが、レポートでは本文中の該当箇所の後の括弧内に書誌情報を簡略に記入すれば良い。書誌情報の表記法(著者・執筆者名が書名・論文名より先である)や注の付け方については必ず上記参考文献aかbを参照されたい。
(2)本論の構成──課題の細分化──
実証的かつ論理的に本論を叙述しようとすると、一つの課題に対して一つの証拠と一つの論理では答えきれないことが多い。それゆえ課題Aを複数の問題(A1,A2,…)に細分するという手続きが必要になる。細分化の方法としては、課題Aを複数の側面に分ける多面化や、課題Aをまず問題A1に変換して、それについて考察した結果、A1をA2に、それをさらにA3に変換するという段階的細分化などがあるが、実際には両者の組み合わせで課題が細分化されて本論の叙述が進行することが多い。
(3)本論の形式──節・項・目・細目──
細分化された複数の問題に対応して、本論も複数の節(T見出し、U見出し…)から構成される。とはいえ第T節で問題A1を、第U節でA2を考察するというスタイルにならないことも多く、第T節では先人たちの研究を概観し、第U節で課題を細分化し、第V節で初めて問題A1を扱うといったこともある。各節は必要に応じて項(1.見出し、2.見出し…)に分け、各節・各項にはその内容を最も端的に表現する見出しを付ける。一つの項が長かったり、その内容が煩雑な場合は目((1)、(2)…、「メ」でなくて「モク」)に、さらに目を細目(A、B…)にそれぞれ細分することもあり、目・細目には必ずしも見出しを付ける必要はなく、改行しないことも多い。
3. 結 論
細分化された複数の問題について考察した結果を総合し、当初の課題への答を述べる部分が結論で、通常は「むすび」と題して書かれる。課題に対する完璧な答を出せないのが普通で、本論の叙述を振り返って見ると、問題を多面化し変換しただけで終わり、結論らしい結論に到達しないことすらありうる。そこで挫けてはいけない。知の世界というのは奥の深いもので、簡単に完璧な答が出るなら誰も苦労しない。完璧な答が出せたと思ったときは、自分がどこか重大な勘違いをしていないか、あるいはもともと非常に瑣末で微細な課題しか設定していなかったのではないかを疑ったほうが良い。
いずれにせよ「むすび」においては、まずA自分で設定した課題について調べ明らかにできたことを簡潔に纏めることが必要である。そのうえでB答えきれなかった問題は何であり、容易に答の出なかった理由は何であるかを明示し、またC新たに発見した問題が何であるのかを整理できれば、それはそれで充分立派なことである。誰もが考えそうな優等生的でありきたりの結論ほど読んでいて虚しいものはない。当初の課題に完全な結論を出せなかったため叙述を「むすぶ」ことができないと自覚して、結論部分を謙虚に「むすびにかえて」と題する人もいる。ここまで自覚できていれば、それも結論の名に値すると言えよう。
4. 構成と目次の関係
以上のような構成は目次に表現される。提出するレポートの表紙に記入する目次は本文を全て書き終えてから作成するが、次節以降で述べるように、何となくだらだら書いてきた結果として目次ができるのではなく、目次案(つまり本文の構成の詳細)は本文を清書する前に概ね決まっているはずである。
目次には通常、節・項まで記入するが、目にも見出しが付いている場合はそれも目次に含める。なお「はじめに」と「むすび」は節と同格であるが、「むすび」を複数の項に分ける──「むすび」で新しい議論を展開する──ことはしない。
補足──文章の諸形態と構成──
われわれが日常目にする文章には、私的文書、業務文書、文学的文章、学術的文章の4形態がある。私的文書のうち日記や備忘録は自分のために書くものだから構成はとりたてて意識されない(それでも長いものは後で読み返して分かりにくいと困るから見出しを付けるなどして構成に配慮する)。私的な書簡や伝言メモは名宛人に用件を伝えるのが目的だが、単一の事柄を簡潔に表現するだけだから、慣習的な手紙文の形式を除けば、特に構成を立てるということはしない。業務文書にはいろいろな種類があるが、業務書簡や連絡文など短いものは用件・主題を頭書する以外は私的書簡に準ずる。調査報告書、提案書、議案書などの長いものは、複雑な内容を読み手に分からせなければならないから構成が重要で、実証性・論理性に配慮するなど学術的文章に似た性格をもつ。ただし自己の意見を説得し相手をその気にさせるためには、構成の立て方、証拠の出し方、論理の進め方などいずれも戦略的に選択され、ときに欺瞞すれすれになることもある。
詩、小説、評論、エッセイなどの文学的文章でも、「起承転結」の言い習わしのように構成は重視される。また現実感(リアリティ)を持たせるために、ありそうな内容を盛り込み、話の運びや流れに注意するなど、学術的文章と類似する面は多々ある。ただ文学的文章は読み手にそれと意識させずに書き手の世界に引きずり込むことが肝要だから目的(課題)を明示しないし、文や言葉の流れを損なわないために、構成をことさらに示すことも通常はしない。不特定の読み手に何ごとかを伝えるという点で学術的文章は詩文などと共通するが、読み手に批判の可能性を留保させるために課題と構成を明示しなければならない。殊に節・項などを見出しとともに明記することは、執筆者がいかなる内容をいかなる順序(論理展開)で叙述しようとしているのか明らかにするために極めて重要である。
U レポート作成の諸過程
このような構成をもたせるように書けば、そのレポートは自ずと優れた内容のものとなるし、諸君の認識も数段深まる。では、どのような手順を踏めばそうしたレポートが作成できるのか、以下で順を追って簡単に説明しよう。これについても詳細は先に示した文献を参照されたい。
1. 読み、調べ、考える過程
(1)テーマおよび文献・資料の選定
まずテーマを決める。テーマとは多かれ少なかれ茫漠としたもので、そこには様々な問題が含まれているが、テーマを決める(あるいは標準的なテーマの中から一つ選ぶ)際には、何がおもしろそうか、何を知りたいのかを考えるとよい。それが課題の芽になることが多いからである。次にそのテーマに適切な文献・資料を選定する。世の中には「良い本」と「普通の本」と「いい加減な本」とがあり、「いい加減な本」だけ読んでも無益であるから、文献・資料を選ぶにあたっては私に相談していただければ、可能な限り適切なものを紹介する。殊にそれが長い書物の場合、どの部分を読めば良いか指示できるし、1冊の書物の形態になっていないもの(学術雑誌に掲載された論文など)を紹介することもできる。いかに「良い本」でも──むしろ「良い本」は説得力があるだけに──1冊だけ読むと、その著者・執筆者の認識に束縛され、世界が狭くなってしまうので、必ず一つのテーマについて複数の、できる限り3点以上の、ものを読む必要がある。複数のものを読んで違いが分かることも大事なことである。したがって何か読んでいておもしろいテーマが見つかった場合も、その文献だけを素材にするのではなく、別のものを探さなくてはいけない。
(2)ノートとメモ
読みながらその内容をできる限り簡潔にノートにとる。ノートをとらずに3冊の本を読んだら、誰がどの文献に何を書いていたか忘れるし、混同するから、ノートとりはまだるこいが不可欠な作業である。むろん人に読ませるものではないから、走り書きで構わないし、キーワードの羅列だけで済むこともあろう。本を一文ずつノートに纏めていると──そうする必要があるほど重要な文もあるが──時間が足りないから、通常は数頁を読んで、その要点をノートに数行で纏める。書名、章・節等の番号と見出し、頁数などを忘れずに記入しておかないと、後でその本の必要箇所を読み返そうというときに困る。章・節などをノートに書くことによってその本の構成がよくわかるという効果もある。
同時に、読みながら考えたこと、疑問点、調べなければならないと気付いた点、さらに追加して読むべき文献名(その本が引用・参照している文献など)をメモする。ノートの見開き左側の頁に内容を纏め、右側の頁にメモを記入するのが常道で、したがってルースリーフはこの場合不適である。
2. 構成する過程
(1)内容の構成
当初選定した文献・資料を読みながら書いたノートとメモを見返しながら、レポートにどのようなことが書けそうか、またどのような結論を導き出せそうかを考える。その結果を詳細な目次案(本論各節・各項の見出しと内容、および結論)に纏め、1枚の紙あるいはノートの見開きに記入する。
(2)詳細目次案の点検
できあがった目次案をじっくり眺めて、証拠の欠如や論理の飛躍がないか点検する。もしあれば、目次案を修正しなければならないし、そのためにもう一度必要な部分を読み直し、考え直す必要もある。また証拠や論理を補強するためにさらに別の文献を探すこともある。とはいえレポート提出の期限が迫っていて新たな文献・資料を探し、読む、考え直す余裕がないかもしれない。それゆえ早めに準備を始めたほうが良いし、初めから適切な文献を選定しておかないといけない。
(3)「はじめに」のプラン決定
本論および結論で書く内容がとりあえず決まったら序論の部分(特に課題)をどう書くか考える。つまり、どうやら何らかの結論が出せそうだという段階になって初めて、自分が何をしようとしてきたのかが明瞭になるのである。逆に言うと、出せそうな結論が自分にとって少しもおもしろくないし、意味のあるものとも思われないなら、それは、自分がまだ明瞭な課題(何を考え、知ろうとしてきたか)を発見できていないということを意味する。こうして序論・本論・結論の内容とその構成が見えてきたら最終的な詳細目次案を確定し、もしだめそうなら前に戻って読み直し、考え直すことになる。
(4)表題の検討
自分のレポートの特色や魅力を最も良く表現する表題(題目、タイトル)を考える。レポートの課題、対象、方法、主要な論点などをそれぞれ端的にあるいは象徴的に表す語(キーワード)をいくつかあげ、それを適宜組み合わせて主題と副題に分けるのが表題選定の常道である。
3. 執筆の過程
ここまで来ればあとは書くだけ、手書きならレポート用紙か400字詰横書き原稿用紙を用いられたい。
(1)本論の執筆
詳細目次案にしたがって書く。書いてみると案外筆が進まないということもあるが、一度頭を休めて考え直すか、構成を修正するだけで書きやすくなることが多い。文体、引用法、注の付け方などに注意する。
(2)「むすび」の執筆
本論各節で明らかにしたことを踏まえて、課題に照応する最終的な結論、残された問題、新たに発見した問題などを(さらにレポートを作成して自分が得たもの、失ったものなども率直に)書く。ここで格好を付けようなどと考えると、妙に力んだり、本論で論じてないことを新たに書き始めたりしてしまうので、「むすび」を書く際は、自分のしたことに正直であることが肝要である。
(3)「はじめに」の執筆
本論と「むすび」を読み直して、もう一度、自分が考え、明らかにしようとしたことを確認し、それがあたかも初めから分かっていたかのように書く。つまりあるテーマを選定し、その問題領域の中から特定の課題を設定する理由を述べ、課題に相応しい対象と方法が採用されていること、いかなる順序で結論に到るのかなどを、目一杯格好を付けて書くのである。
(4)表題の決定 −タイトルは最後に−
本文を書き終えて後、最終的に表題を決定する。以上から明らかなように書き進める順序は読む順序とは異なる。筆を執るや表題を付け、「はじめに」から書き出すと失敗しやすい。それでも成功するのは、充分推敲した草稿をただ清書するだけの場合か、よほど幸運に恵まれた場合か、例外的な天才の業かである。
(5)表紙の記入
本講義指定のレポート表紙を、自分のレポートの版型に合わせて適宜コピー機で拡大縮小し、それに、提出年月日、科目名、学籍番号(学生証番号)、氏名、表題(主題・副題)、目次、参照文献を記入し、本文と一緒に綴じる。表紙の用紙をなくした場合はいつでも請求されたい。
4. 提出とその後
(1)提出
完成したレポートは講義時あるいは研究室で私に直接提出されたい。郵送する場合は郵便の事故も考慮してコピーを1部とっておいた方が良い。宛先は「113-0033 東京都文京区本郷7-3-1 東京大学経済学部 小野塚知二」とする。海外で投函する場合は必ずコピーをとり、航空便にすること。
(2)コメントと返却
こうして提出されたレポートは一旦諸君の手を離れるが、これでお終いではない。書いて出すだけでは一方通行だし、レポートによる学習効果も期待しがたいから、私はコメントを付けて返却することにしている。返却されなかったレポートには点を与えない。したがって提出時には返却日を確認し、必ず受け取りに来てほしい。
むすびにかえて
レポートとは、適当な本を一冊見つけて、そのいくつかの部分を適当につぎはぎして丸写しするものだと思っていた諸君もいるかもしれない。これを不信心者の写経と言う。不磨の大典を一字一句違わずに全て書き写すことはそれに帰依する者にとっては意味のあることであろう。学問は、その出発点に思想や宗教があるとしても、それ自体は信仰ではないから、写経は無益な業である。むろん先人たちの研究業績を正確に理解し、それを要約的に再現することは大切だし、重要な部分をそのまま引用することも必要だが、つぎはぎの写経は時間と労力と紙の無駄以外に何も意味しない。私はレポートとはそのようなものだとは考えていない、あるいは、そのようなものの作成と提出を強要したくはない。
もとより完璧を期そうとしたら1年かけても満足できるものは書けないかもしれない。要は読み、考え、書き、提出して、返却されることに意味があるのだから、基礎的なトレーニングと考えて気楽にのぞめばよい。求めがあれば必ず相談に応ずる。
なおレポートは手書きでも全く差し支えないが、ワープロを用いることをお勧めする(自分専用のものがなくても大学のパソコンを使えばよい)。諸君のほとんどは将来ワープロやパソコンと縁が切れないことになると思うが、使いこなせるようになる一番の近道は実際に使ってみることである。またワープロを使えば推敲や校正は手書きに比べてはるかに容易である。むろんキーボードに向かって直ちに文章が湧き出てくるものではないから、メモや下書きを不要にしてくれるわけではない。健闘を期待する。